みなさんこんにちは ポケット予備校です。
今回からは、いよいよ文明ができてからの歴史を見ていきますよ!
それでは、まず、人類で最初の文明ができた、メソポタミアから見ていきましょう。
メソポタミアってどんなところ
メソポタミアとはどんなところでしょう。まずは地形からしっかり押さえていきましょう。
メソポタミアとは、中東にある2つの大きな川に挟まれた地方のことです。その大きな川とは、ティグリス川とユーフラテス川です。
この地域は、地形が比較的平坦です。そのため、周りからいろんな民族が入ってきやすい状況です。そのため、たくさんの民族がいろいろな王国を作っては勢力が変わっていくんです。
対してエジプトは、周りから侵入しにくい地形なので、安定した文明が続きました。これは、メソポタミアとエジプトの異なる点なので、覚えておきましょう。
さて、このメソポタミアからシリア・パレスチナ地方は、肥沃な三日月地帯と呼ばれていて、古くから灌漑農業が行われていました。前回の授業で確認したように、このような農耕が、文明が誕生するきっかけだったんですよね。
このメソポタミアでは早くから農耕・牧畜が行われていたので、文明も早くから発達しました。
古代メソポタミアの王国をこれから見ていきますが、古代メソポタミア文明では、政治は神権政治が発達しました。
神権政治とは、王様が宗教的な権威によって人々を統治する政治スタイルのことです。王様は、神と人とをつなぐ神官として君臨しました。
それでは、古代メソポタミアの王国を見ていきましょう。
今回の大きな流れ
こちらが今回の大きな流れです。
人類最古の文明を築いたシュメール人のお話から始まります。
そこに、外から侵入してきたアッカド人が王国を作り、初めてメソポタミアを統一します。
その後、バビロン第一王朝という国が現れ、再びメソポタミアを統一し、重要な法典を制定します。
今回はこんな感じの流れで進んでいきますよ。それでは細かく見ていきましょう!
人類最古の文明を作ったシュメール人
メソポタミアで最初に文明を築いたのはシュメール人です。このシュメール人による文明は、人類最古の文明です。
このシュメール人というのは、民族系統が分かっていません。その正体は謎に包まれた民族、ということですね。
シュメール人は、ウル、ウルク、ラガシュといった都市国家をいくつも作りました。その中心には、ジッグラトというピラミッド型の聖塔を建てて、宗教儀式を行いました。
都市国家というのは、都市がそのまま国家になあったようなレベルの国です。
例えば今の日本だったら、東京、名古屋、大阪、といった都市がありますよね。そうしたいくつもの都市をまとめて、日本という一つの国がありますよね。
しかし都市国家というのは、この都市がそのまま国になったようなものだとイメージするとわかりやすいでしょう。それらがまとまって一つの国になる、というわけではないのです。それぞれの都市が自立して国になっている、といった感じですね。
さて、こうして世界最古の文明を作ったシュメール人ですが、ある時を境に衰退してしまうんです。そのきっかけが、周囲からの民族の侵入でした。
アッカド人が初めてメソポタミアを統一
アッカド人は、セム語系の民族で、メソポタミアに侵入しシュメール人を弱体化させました。彼らはそのまま征服活動を続け、アッカド王朝のサルゴン1世は史上初めて、メソポタミアの都市国家を統一しました。
しかし、このアッカド王朝もおなじく他の民族の侵入を受けて滅んでしまいます。
この後、一時期、シュメール人が再び力を取り戻しましたが、そのシュメール人はまたしても周囲からの民族の侵入によって苦しめられ、シュメール人最後の王朝、ウル第3王朝が滅んでしまいます。
この侵入した民族によって、新たな統一王朝が作られるのです。
法による統治を目指したバビロン第一王朝
その侵入した民族とは、アムル人です。アムル人はセム語系の民族で、メソポタミアに侵入したあとバビロンを首都にしてバビロン第一王朝を建てました。
6代目の王、ハンムラビは、メソポタミアを統一しました。彼の行ったことで注目すべきことは、ハンムラビ法典という法典を作ったことです。
ハンムラビ法典が刻まれた石柱
王が太陽神から王権を叙任される場面が描かれている
ハンムラビ法典
ハンムラビ法典の大事なポイントは、この3つです。
- 復讐法の原則
- 同害報復の原則
- 身分法の原則
それぞれ説明していきます。
復讐法の原則とは、何か問題が起こったり被害をうけたら、やり返す、という原則です。これがハンムラビ法典の大きな特徴です。ここで注意するべきは、やり返すのは被害者ではなく、国である、ということです。国が被害者の代わりに、加害者にやり返す、ということです。
そして、そのやり返すときのルールが、次の2つです。
ます、同害報復の原則とは、何か被害を受けたら、受けた被害と同じだけの報復をする、という原則です。「目に目を、歯に歯を」なんて言葉で表現されたりします。自分の目をやられてら相手の目をやり返す、自分の歯をやられたら相手の歯をやり返す、ということを表しています。
身分法の原則とは、身分によって受ける刑罰が変わる、ということです。身分の低い人が身分の高い人を傷つけた場合はより重い刑罰を課して、身分の高い人が身分の低い人を傷つけた場合は、より軽い刑罰でよい、といったことです。
ハンムラビ法典の意義
ハンムラビはどうしてこんな法典を作ったんでしょうか、また、この法典は何がすごいのでしょうか。
当時、バビロン第一王朝のなかには、いろんな民族や都市国家がありました。そうした文化や習慣が異なる人々を統治するために、ハンムラビは、法による統治をしたんですね。決められた法によって統治することで、いろんな民族に対して、公正な政治ができると考えたのです。それがハンムラビ法典の制定、という形で現れたんです。
さらに、国が被害者に代わって、同害報復する、という内容は画期的です。これは一見、残酷なように見えますが、その目的は、人々がお互いに際限なく復讐し合うのを防ぎ、公正な正義を実行する、ということにあります。
ただし、身分法というところに、ハンムラビ法典の限界がありました。身分によって扱いを変える、という考え方は、このあと、長い歴史の中で克服されていくところです。
そのような限界はあったとはいえ、法による統治を目指したところ、公正な内容を定めたことは、世界史的に見て大変、評価に値することです。
世界史では、人々の権利や法が1つの重要なテーマとなります。これからも、このテーマには注目して勉強していきましょう。
まとめ
さて、今回は古代メソポタミアの王国を見ていきました。移り変わる民族や国に、歴史の動きを感じますね。
次はエジプトの勉強にいきましょう!
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