2020年東大現代文を徹底解説!解答例&解説&分析(解答速報)

みんさんこんにちは ポケット予備校です。

今回は2020年の東大入試、現代文の第1問の解答解説をしていきます!

まずは解答速報!

(1)

集団間の不平等が是正され、公平な機会が与えられた自由競争社会では、不平等の責任は社会ではなく個人の能力に見出されるので、人々は変革活動に関心が向かないから。 (78文字)

(2)

個人の才能や人格は遺伝や社会影響などの外因が累積して作られ、外因から内因は生まれえない以上、能力の差異が生じる原因は各自の内部に定立できるものではないから。 (78文字)

(3)

平等な社会を謳う能力主義が逆に階層構造を固定化しているにも関わらず、人々は各自の内部に不平等の原因を投影することを自然で正当な状態として感知しているということ。 (80文字)

(4)

近代は平等のための方策として自由競争社会を生み出したが、個人の能力差による格差が生まれ、それを不平等でないと装い正当化する根拠のために、自由を宣言することで以前は共同体外部に求めていた責任を個人の主体性に転嫁しているにすぎないということ。 (119文字)

難易度

全体の難易度

例年に比べて普通〜やや難化でしょう。特に、比較的解きやすかった去年に比べると、今年は若干まとめにくい実感がありました

が、日本一とされている東大の現代文の問題としては、メッセージ性もあり、問題もしっかりと論理を把握して解くタイプで、質が高い問題なのではないかと思います。

(1)やや難

文章の構造が複雑ですね。傍線部が因果関係を説明しているのに、それに対してもう1段回、因果関係を説明するように求められています。その構造をしっかりと見れたかがポイントですね。

(2)普通

前の部分をまとめる形で解けばOKです。回答を拾う部分が見つけやすく、(1)〜(4)の中では一番解きやすかったのではないでしょうか。

(3)普通

どういうことか?を問う問題で、言い換えの部分が見つけやすかったと思います。直前に同じ論理の文章があるので、方向性は決めやすかったのではないでしょうか。

(4)やや難

そもそも(4)は難しいものですが、今回は本文の論理に合わせた型で答えることが少し難しく、また直前文の理解も難しかったかなと思います。ただ、それ以外はわりと分かりやすいので、手も足も出ない、というタイプでもないでしょう。

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解説

(1)

問題:傍線部ア「不平等が顕著な米国で、社会主義政党が育たなかった一因はそこにある。」とあるが、なぜそう言えるのか?

東大現代文で典型的な、なぜか?を聞く問題です。

この問題は、理由を説明した文章に対して、さらにそう言える理由を聞いている問題です。なので、この構造に注意してどこを回答に持ってくるか、に注意が必要です。

まず、傍線部をしっかりと分析しましょう。

まず「不平等が顕著な米国で」とは、貧富の格差がかなり大きいアメリカで、ということです。めちゃくちゃな金持ちがいる一方で、ホームレスもいっぱいいる、そんな格差社会のアメリカで、ということですね。

次に、「社会主義政党が育たなかった」というのは、その前の段落にある、「変革活動に関心が向かない」と同じですね。ここで、「社会主義政党が育つ」というのは、不平等な社会を変革しようという気運のことです。

これをつなげて考えられない受験生は少なからずいたかもしれません。「なんで急に社会主義の話が出てきたの?」と分からなかった受験生もいたのではないでしょうか?

最後に、「(社会主義政党が育たなかった)一因はそこにある。」とは、直前の内容を指しています。つまり、アファーマティブ・アクションによって集団間の不平等が是正されているので、各人の能力で社会上昇が可能だと信じられていて、弱肉強食な社会が正当化されている、ということです。これゆえに、アメリカは深刻な格差社会なのに、社会主義政党が育たない、というわけです。

そして、今回の問題は、その傍線部の内容に対して、なぜか?と問われています。ここがこの問題の厄介な点です。「なぜアメリカで社会主義政党が育たないのか?」ではなく、「社会主義政党が育たない理由が〜〜なのはなぜか?」という問題です。どうして?と聞かれたからAだから、と答えたらAなのはどうして?とさらに聞かれた、そんな構造の問題です少し複雑ですが、しっかりと構造を読み取ればOKです

つまり、問題を言い換えると、「集団間の不平等が是正されていて、各人の能力で社会上昇が可能だと信じられ、弱肉強食な社会が正当化されれば、なぜ変革活動に関心が向かないのか?」ということです。

この答えは、その前の第2段落にあります

もし、機会が等しく与えられない不平等な社会なら、出世できないのは不平等な社会のせいであり、その社会を批判し変革したい気持ちになる。しかし、機会が均等な平等な社会なら、成功できないならそれは自分の能力の責任であり、社会に批判の矛先は向かわず、変革活動にも関心を向けなくなる。

という内容です。これがゆえに、「集団間の不平等が是正されていて、各人の能力で社会上昇が可能だと信じられ、弱肉強食な社会が正当化されれば、変革活動に関心が向かない」のです。

よって、構造としては、

①機会が均等な平等な社会なら、成功できないならそれは自分の能力の責任であり、社会に批判の矛先は向かわず、変革活動にも関心を向けなくなる。

②だから、集団間の不平等が是正されていて、各人の能力で社会上昇が可能だと信じられ、弱肉強食な社会が正当化されれば、変革活動に関心が向かない

③よって不平等が顕著な米国で、社会主義政党が育たなかったとなります。

これまで説明したように、②③が傍線部の内容で、それはなぜか?と聞かれているので、今回、求められている答えは、そのさらに理由の部分、つまり①の部分です

よって、答えとしては

(1)

集団間の不平等が是正され、公平な機会が与えられた自由競争社会では、不平等の責任は社会ではなく個人の能力に見出されるので、人々は変革活動に関心が向かないから。 (78文字)

となります。

第2段落は機会均等がテーマなので、「機会が均等である」という内容が入っていればポイントが高いと思います。

最後に、この問題にはタブーがあります。それは、傍線部アの直前の文章、「アファーマティブ・アクション〜だからこそ弱肉強食のルールが正当化される。」を回答に持ってくることです。ここは解答ではありませんそれは傍線部の言い換えに過ぎず、傍線部の理由ではありません

しっかりと本文の構造を読み取って、傍線部直前の部分は解答ではないと気づき、第2段落から回答できればOKでしょう。

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(2)

問題:「自己責任の根拠は出てこない」とあるが、なぜそういえるのか?

同じく東大現代文の典型問題、なぜか?問題ですね。

この問題は、傍線部の直前に「したがって」と、明らかな接続語があるのを見て分かるように、基本的に傍線部のある段落の内容をまとめればOKです

まず前提として一つ前の段落で、近代では

所与=与えられたもの=個人にはどうしようもできないもの=家庭条件や遺伝形質という<外部>=外因

↕︎

行為=与えられていないもの=個人が主体的に行うこと=才能や人格という<内部>=内因

この2つを切り離して、行為=才能や人格という<内部>に自己責任の根拠を求めるようになりました。

傍線部のある段落では、それが虚構であると主張し、それが解答の内容になります。なぜ、自己責任の根拠は出てこないのか、この段落を整理して、見ていきましょう。

この段落では、一般に「内因」とされる様々な要素について、それが実は内因ではなく外因によるものだ、と主張しています。

・まず個人の才能や人格は、元を正せば、親から受けた遺伝形質に家庭・学校・地域条件などの社会影響が作用して形成される。よって、外因によるものである。

・次に、偶然も外因である。

・能力を遡及的に分析していくと、いつか原因は各自の内部に定立できなくなる。

・心理も、蓄積された記憶と外来情報の相互関係を通じて生み出される。

このように、一般に内因とされている要素は、実は外因なのであると、いうわけです。

中でも、能力の扱いは他の要素とは異なる扱いをされていることに気づきますか?「能力を遡及的に分析していくと、いつか原因は各自の内部に定立できなくなる」とは、能力の中には、才能や人格、偶然、心理といった要素があり、それらを一つ一つ分析すると、最後は外因にたどり着く、と言っているわけです。

また本文のテーマそのものが「能力に基づく社会」について、です。

つまり、「能力」は才能や人格、偶然、心理といった要素の一つ上の階層にあります。よって、解答では、「才能や人格などは・・・」とするのではなく「能力は・・・」と書くべきなんですね。ここは少し気づきにくいところで、本番では気づけなくてもOKだと思います。

そして、そういう外因をいくら掛け合わせても内因には変身しない、として、「したがって」で傍線部につながるわけですね。

よって、この段落を整理すると、

①一般に内因とされる能力は結局は外因によるものである

②そして外因はいくら積み重なっても内因にはなりえない

③よって、能力の差異が生まれる原因を自己の内部に見出すことはできない(定立できない)

となります。②は、①と③を論理的に結びつける要素なので、抜かすべきではないですね②がないと、内因が存在しないことの決定的な理由として不十分ですね。簡単にいえば、②がないと説明として少し不十分、ということになります

よって、解答は

個人の才能や人格は遺伝や社会影響などの外因が累積して作られ、外因から内因は生まれえない以上、能力の差異が生じる原因は各自の内部に定立できるものではないから。 (78文字)

となります。

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(3)

問題:「先に挙げたメリトクラシーの詭弁がそうだ。」とあるがどういうことか?

東大のもう一つの典型問題、どういうことか?問題です。

どういうことか?問題では基本的に傍線部を分割→分析→言い換えという順番で回答していくのが鉄則です今回は「先に挙げたメリトクラシーの詭弁/がそうだ」と分割できます。

まず、「先に挙げたメリトクラシー(能力主義)の詭弁」ですが、これは4ページから5ページにかけての段落ですね。内容としては身分などの階層構造による束縛から解放され、自分の力で勝負できる、平等な社会として歓迎されているメリトクラシーは、実際は既存の階層構造を正当化し永続させる、ということです。

そして、これを傍線部で詭弁と言っている以上、一見すると何が正しく見えて、実際はどう間違っているのか、の2つをしっかりと書かないといけません。どちらかだけだと、「詭弁」としての説明になりません。

もちろんそれは、一見すると何が正しく見えて=平等な社会の実現、実際はどう間違っているのか=階層構造を正当化して永続させるということです。この2つをしっかりと書けたら、前半の言い換えはOKです。

後半は、「(先に挙げたメリトクラシーの詭弁)がそうだ」の「がそうだ」の部分です。これは、その前の、「支配が理想的な状態で保たれるとき、支配は真の姿を隠し、自然の摂理のごとく作用する。」ということの具体例として書かれています。

「支配が理想的な状態で保たれるとき」とは、民主主義社会が問題なく維持されているとき、ということです。「支配は真の姿を隠し」とは、能力主義が実は格差=階層構造を固定化しているけれど、その事実は意識されない、ということです。そして、「自然の摂理のごとく作用する」とは、能力主義のなかで、不平等があるなら、それは当然、自分たちの能力のせいだ、と人々が思っていることです。

つまり、民主主義が問題なく維持されている時というのは、能力主義が実は格差を固定化しているという事実は意識されず、不平等があるなら、それは当然、自分たちの能力のせいだ、と人々が思っている、と言い換えられます。

よって、「先に挙げたメリトクラシー(能力主義)の詭弁」と、「がそうだ」の言い換えを組み合わせればそれが解答です。ただ、全部を描こうとすると、字数が大幅にオーバーするので、どこか削らないといけません。

やはり、問題の内容で大事なのは、「能力主義の詭弁」に代表される「支配は真の姿を隠し、自然の摂理のごとく作用する」状態です。これを収めるように解答を書くのが正しい方向性でしょう。

よって、解答は

平等な社会を謳う能力主義が逆に階層構造を固定化しているにも関わらず、人々は各自の内部に不平等の原因を投影することを自然で正当な状態として感知しているということ。 (80文字)

かなり字数的に厳しい内容になりますが、詭弁は一見何が正しくて実は何が間違っているのかの2点、そして何が隠され何が当然のように受け止められているのかの2点をしっかり書ければOKです

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(4)

問題:「近代は人間に自由と平等をもたらしたのではない。不平等を隠蔽し、正当化する論理が変わっただけだ」とはどういうことか?本文の趣旨を踏まえて説明せよ。

例年通り、100字〜120字で、本文全体の趣旨を踏まえて書く問題ですね。

どういうことか?問題として解く面と、本文全体の趣旨を踏まえて解く面を合わせて回答する必要があります。

どういうことか?問題なので、傍線部を分割→分析→言い換えという順番で回答していく鉄則で解いていきます。その際に、本文全体の趣旨を踏まえて考えていきます。

傍線部は「近代は」「人間に自由と平等をもたらしたのではない。」「不平等を隠蔽し、正当化する論理が変わっただけだ」と分割できます。それぞれ、分析をして言い換えていきます。

まず、「近代は」とは、本文の趣旨を考えると、身分制を打倒して、能力主義に基づく自由競争社会という平等な社会を目指した時代、と説明できます。

次に「人間に自由と平等をもたらしたのではない」ですが、ここは少々厄介なところです「平等」は考えやすいですが、自由」の方がつかみにくいですね。

まず先に考えやすい「平等」から。近代は、出自にかかわらず、純粋に実力だけで勝負する社会として、平等になったと言われます。しかし、本文を通して筆者が繰り返し主張しているように、能力主義は平等をもたらしませんでした。能力主義は、能力差による次なる格差を生んだのです。

そして、これが「自由」というキーワードにつながります。「自由」というキーワードは、傍線部の前の3文に説明されています。

近代になっても、身分制を打倒して平等な社会を作ったはずなのに格差が残ってしまった。その格差を正当化するために持ち出されたのが、自由という概念です。どうして格差はあるんですか?それはみんなが自由に生きれるからです、自由に生きるから、能力の差が出るんです、と言って正当化しているんです。そしてその正当化をみんなが分かるように、みんなに伝わるように大声で「人間は自由だ」、と宣伝している、というわけですね。

つまり、自由というのは格差の言い訳のために持ち出されたものであって、近代化の恩恵のようなものではない、ということです

よって言い換えると、能力主義によって能力の差による格差が生まれ、その正当化のために自由という考えが持ち出されたのであって、平等・自由は近代化によって人々に与えられた恩恵とは言えない、となります。平等は実現せず、自由も言い訳に過ぎない、ということですね。

そして最後は、「不平等を隠蔽し、正当化する論理が変わっただけだ」です。今説明したように、近代になっても不平等は残っています。能力の差による格差ですね。しかし、不平等が意識されると「支配は理想的な状態を保」てません。例えば4ページにあるように、変革活動などが起きてしまいます。

それを防ぐため、なんとか不平等が不平等でないという言い訳が必要です。昔は神や自然といった共同体の外部が身分を決めたんだと言って、そこに責任を求めていました。しかし身分制を打倒した近代では、その言い訳は使えません。

そこで近代では、人間は主体的に自由に行動できて、能力で勝負するから能力差で格差も生まれるんだよ、という新しい言い訳に切り替えたのです。これによって人々は、「ああ、社会システムが不平等なんじゃなくて、自分の能力が足りないのが悪いんだ」と思うことで、不平等を意識しなくなったのですね。

まとめると、不平等を不平等でないように見せかけ、正当化するために、昔は共同体の外部に不平等が存在する責任を求めていたけど、近代では自由な条件の下での個人の主体性に責任を求めるようになった、ということです。

傍線部では、「変わった」と書いてあるので、何から何に変わったか、は明記する必要があります。何になった、というだけでは不十分です

また、文末が「だけだ」とあるので、回答もこれに対応した書き方が望ましいですね。解答では「に過ぎない」としました。

さて、本文を整理すると、

・近代は平等を目指して自由競争社会になったが

・能力の差によって、不平等は残り続けた

・それを不平等じゃないと見せかけ、正当化するために、自由という言い訳を持ち出して

・昔は共同体の外部に求めていた責任を、個人の主体性に求めるようになったに過ぎない

となります。そして回答は、本文の論理の順番で書くべきです。なので、まず、平等と自由はもたらされなかったことを書き、次に正当化の論理が変わったことを書くべきですね。

よって、解答は

近代は平等のための方策として自由競争社会を生み出したが、個人の能力差による格差が生まれ、それを不平等でないと装い正当化する根拠のために、自由を宣言することで以前は共同体外部に求めていた責任を個人の主体性に転嫁しているにすぎないということ。 (119文字)

となります。本文で使われている自由という言葉の意味をしっかりと捉えて、傍線部の論理の順番で回答できたかがポイントですね。

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分析

筆者について

今年は小坂井敏晶 氏の『神の亡霊』から出題されました。小坂井敏晶 氏はフランスのパリ第八大学の心理学部の准教授です。

内容について

身分制が倒された近代では、出自によらず、能力で勝負できる社会になり、一見すると平等な社会になったかのように見えるが、実はそうではない、という内容でした。

東大のことを言っているのだろうか?とふと思ってしまう内容です。
出自に関係なく、一律に入試の点数という能力の物差しで測られる東大入試ですが、実際のところ、東大の合格者は、裕福な家庭が非常に多いです。

一見すると能力での勝負だけど、実際は階層構造が現れている、というのは、東大の比喩なのだろうか?と読むこともできます。

文章について

①難しい言葉が少しあった

アファーマティブ・アクション、桎梏(しっこく)、メリトクラシー、詭弁(きべん)、そして漢字では培う、など、受験生が普段は使わないような言葉が少し出題されました。

詭弁とは、実際は間違っている、道理に合わないのに、正しいかのように言う言説のことですね。問3で大事になりますね。

②内容は読みやすかった

内容としては、何言ってるか分かんない、というものではなかったでしょう。能力によって勝負できる近代社会でも、実際は平等ではない、という筆者の主張は掴みやすかったのではないでしょうか。

ただ問題を解くとなると簡単にはいきません。

問題について

形式は去年と同じですね。2行問題が3問、そして120字問題が1問、という形式です。

問題を解いた印象は、回答の方向性を決めにくい&かなりまとめにくい、という印象です。

問題を見たときに、すぐに、「あ、ここから回答要素を拾えばいいね」と、なりにくい問題が多かったですね。

どういう型で書こうかな、と、悩んでしまう問題が多いですね。

年によっては、問題を見たらわりと簡単に方向が決まる、という年もあるのですが、今年は方向性が決めにくかった印象です。

さらに、方向性が決まっても、どうまとめようかな、と悩んでしまう問題が多いです。

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感想

まとめようとするとかなりやりにくく時間がかかりますが、書く内容は見つけやすいので、本番でもある程度までは書ける、という問題だと思います。なので、やりにくい割には点数は案外くる、という感じだと思います。

今回は文章のメッセージが強く出ましたね。去年の入学式の上野千鶴子さんの祝辞と合わせて考えると、「君たちは自分の能力で勝ち抜いたと思うかもしれないが、実際は両親や周りの環境が恵まれていたってことがすごく大きいんだよ」という、経済的に裕福な家庭が多い東大生にこそ伝えるべきメッセージを出しているんだと思いました。

大学が受験生に対して、入試問題を通じてメッセージを送る、受験生はそれを読んで答える、いいやりとりですね。試験中は、東大がこの文章を出した意味を考える余裕はないかもしれませんが、ゆっくりしたところで、改めてその意味を理解して、東大に入ってきて欲しいと思います。

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